『サムホール (親指の穴) 』って何の事だかわかりますか?
その答えは簡単 ‼
パレットにあいている『穴』‼
『親指用の穴』とか『指穴』って呼ばれる…あれのことですよ。
あれがサム (親指) のホール (穴) …つまり『サムホール』です。
では、なんでパレットにあけられた『穴』の名前がキャンバス寸法の呼び名になってしまったのでしょうか?
当たり前のことですが、パレットの指穴くらい小さいキャンバス…なんていう意味じゃないですからね。
ではいつものごとく、見て来たような昔話を…。
昔々、片手に乗るくらいのとてもとても小さな…油絵セット用の『木製スケッチ箱』がありました。大正時代に発売された商品です。
10年くらい前までは復刻版が流通していたようですが、現在は残念ながら入手不可能のようです。
箱のフタを開けると…フタの内側には付属の木製スケッチ板 (復刻版ではキャンバスボールド) が2枚収納されていて、開けて立てたフタ部分がそのままイーゼル (画架) になって…すぐに絵が描けちゃうんです。
※ 昔の、お値段高めのスケッチ箱には…箱のフタがイーゼルとして使えるタイプが結構ありました。
箱の本体側にはスライド式の木製の内ブタがあって、横にスライドさせるとその下には小さいチューブの油絵具や小瓶の画用液や短い筆、そして金属製の油壺や筆洗器も収納されている…。
しかも、スライドさせた内ブタは…油壺を付ければそのままパレットとして使える ‼
コンパクトだけど、油絵のスケッチ用具がすべて一箱に揃ってるの!
ええ、まさに女性がお化粧を直す時に使う『コンパクト』みたいですよ。テクマクマヤコン…。
まぁさすがに、これをこのまま “手のひらの上に乗せて” …絵を描くわけにはいきません。それじゃあとても不安定です。
でもどうでしょう? このスケッチ箱を開いた時に “底” になる面には、な、な、なんと、穴がひとつ…ポッカリあいているのです ‼
そうです、パレットのあの穴と同じ…『親指用の穴』が、箱の片面にあいてるんです。
そこに左手の親指を突っ込んで、箱全体をパレットの感覚で保持するんです。
そうすると他になんの道具も用意せずに油絵スケッチが出来ちゃう…っていう超々々々スグレモノのスケッチ箱だったんです!
(フタの内側にはめてある付属のスケッチ板に直接油絵を描いちゃうんです。スケッチ板に事前に地塗りをしておけば、より本格的な油絵も描けます)
このスケッチ箱、日本の会社が作ったもの。作ったのは…もうお馴染みの東京・神田のB社です。
(同じ方式の…もう少し大きい物が海外にも存在してました…
ま、早く言えばパクったのね)
箱を閉じると…全体的に見ればこぢんまりしたカワイイ箱なんですけど、箱の片側にはポッカリと穴があいてますから…ちょっと異様。正直、グロいです。
この小さいスケッチ箱の商品名が… “親指用の穴があいている箱” ですから『サムホール型スケッチ箱』だったんですねぇ。
スケッチ箱の “形状” というか “様式” というか、そこからこの名前になったんですよ。
つまりサムホールとは…そもそもキャンバスの寸法に対して付けられた名前なんかではなく、『指穴式の小型スケッチ箱』に付けられた名前だったんです。
日本の洋画材料の隆盛期に登場したこのスケッチ箱、けっこう流行ったみたいですよ。
今まで油絵を一度も描いたことが無かった人…つまり、油絵の道具をまったく持っていない人でも、このスケッチ箱のセットをひとつ買っちゃえば…すぐ油絵が描けちゃうんですから。
モボもモガも、こぞってこのスケッチ箱のセットを買い…油絵を描いていたとか (いないとか) 。
前にも言いましたが、その頃…日本で出回っていた枠張りキャンバスの寸法は、3号が最小でした。だって、日本がお手本にしたフランスの木枠寸法表には3号より小さい寸法の記載が無かったんですから…。
『片手で保持出来る木製スケッチ箱』ということになると、やはり3号とかの大きさではデカイ…。
3号よりも…もっと小さい箱にしないといけません。
だからB社はまったく何の規格にも規準にもとらわれず、単に箱として取り扱いしやすい寸法を独自に決めて…サムホール型スケッチ箱を設計し、生産したんでしょうね。
箱が売れればフタの内側にはめ込まれているスケッチ板の “補充のための需要” も生まれます。
その大きさのスケッチ板も、どんどん生産されました。
このサムホール型スケッチ箱のフタにはめられるスケッチ板の大きさが『7寸5分 × 5寸2分
(227 × 158)』だったのです。
世の中に、7寸5分 × 5寸2分 の板に描かれた油絵作品がたくさん生まれました。
当然そのスケッチ板がはめられる額縁も…どんどん作られるようになりました。
先程も述べましたが、当時の枠張りキャンバスは3号が最小…。これよりも小さな作品を…板ではなく、本格仕様の枠張りキャンバスで描きたい…という声は以前からも有りました。
ならば…と、新たに額縁も作られ始めた “サムホール型スケッチ箱用のスケッチ板の寸法” に…否が応でも注目が集まったわけです。そこで、この寸法を新たな規格として木枠が作られることになり…枠張りキャンバスも売られるようになりました。
この新しい規格をどう呼んだら良いのでしょうか?
他の号数と違ってフランスの寸法をお手本にして作ったわけではないので…号数はあてられません。
敢えて名前を付けるなら『サムホール型スケッチ箱のスケッチ板と同じ判 (寸法・大きさ) 』かしらねぇ?
え? 長い?
なら…略しましょうか?
『サムホール型スケッチ箱のスケッチ板と同じ判』というキャンバス、みなさんならどう略します?
もちろん『サムホール判のキャンバス』…ってなりますよね?
こういうワケで、この “7寸5分 × 5寸2分” の木枠寸法が『サムホール判』という名称になったわけです。
前回3ダースが『サムホールは “号” ではなく “判” です』と言ったことにもご納得いただけたんじゃないでしょうか?
号数ばかりの寸法表の中に『SM』という欄が書き加えられるようになりました。
この寸法は…B社が勝手に作ったサイズですから、当然フランスサイズの寸法表には無いんです。
これにより、日本においては『3号の下のサイズはSM』…という “常識” が生まれたのでしょう。
戦後、0号・1号・2号・5号の国産木枠の規格寸法を定めるにあたり、B社はメートル法によるフランスサイズの寸法をそのまま採用し…日本サイズの木枠寸法表に書き加えました。
すると、明らかに小さい『0号』だけは明確な需要が生まれ…消費者に受け入れられましたが、1号と2号を使いたがる人はほぼ皆無でした。
まあ、それはそうでしょう。
なぜなら…すでにSMの寸法は完全に定着しており、SMとたいして大きさが違わない1号や2号には誰も興味を示さなかったんです。
(5号が不人気だった理由はわかりません。やはりSM・3号・4号・6号・8号・10号…という並びが当たり前のように人々の頭に刷り込まれていた中、ポッと出の5号は受け入れられなかったのでしょう)
当然…額縁業界もその空気は敏感に感じ取っていて、戦前から存在していたSM・3号・4号・6号・8号・10号…というラインナップに新たに “0号だけ” を加え、1号・2号・5号の存在は完全に無視する…という、まことに潔い対応をしました。
額縁業界は現在もこの姿勢を貫いています。
B社がこのサムホール判の木枠寸法を…『これが我が国のF1だ』って、どこかのタイミングで高らかに宣言しちゃってくれていれば…現在の木枠寸法表にはSMの欄は無く、F1の所に 227×158 の寸法が書き込まれていたのでしょう。
でもB社はあくまでもフランスに存在している号数体系を尊重したかったのでしょうね。
それに『サムホール判』や『サム』『SM』というサイズ名はもう完全に定着しちゃっていましたから、それを突然 “我が国のF1” などとわざわざ号数で呼び替えるのもおかしなハナシ。
サムホール判はサムホール判。号数で呼んではいけないし、号数で呼ぶ必要も無かったのです。
ちなみに、ナゼか大阪のH社の1976 (昭和51) 年発行のカタログに掲載されている木枠寸法表には『SMの欄』が有りません!
なんと、『1号Fの欄』にサムホール判の寸法が書かれているんです!
それだけじゃありませんよ。前に話題に挙げた『間違ってる4号Pの寸法』もこのカタログの寸法表に書かれていますし…『2号のFや5号のFPMの寸法』も、H社が勝手に決めた独自寸法で書かれています。つまり、間違いだらけなんです。
もう、この時のH社カタログの木枠寸法表はまともに見てられません。
適当過ぎ、暴走し過ぎじゃないですか !?
(昭和10年発行のH社カタログの木枠寸法表にはちゃんと『サムホール』の欄が書いてあったのに…)
ゆえに、木枠の日本サイズのすべての規格寸法を定めた “本家” であるB社が宣言すらもしていないのに…『サムホール判 = 日本のF1』だと信じ込んでいる人が僅かながらですが…今でも存在しているようなのです。
H社の影響力、おそるべし。
ハッキリと言いますよ。
サムホール判は1号ではありません!
サムホール判は号数で呼んではいけません ‼
あくまでも『サムホール判』なのです ‼
サムホール判というサイズは日本の “文化” なのです ‼
当時のモボ・モガが生み出した文化なのです!
最後の疑問。
なぜアルファベットの『SとM』を略称 (当て字) に使ったのでしょうか?
3ダースの推測では、木枠メーカーの焼き印 (あるいはハンコ) が…SMという略称の発祥だろうと思います。
木枠メーカーは数字 (123456800) の焼き印とFPMSのアルファベットの焼き印を持っていましたから、SとMを使えばちょうど『サム』っていう発音を表せます。
『あ、ちょっ…ちょっと待ってよ3ダースサン! 正方形のキャンバスって昭和50年以降に市販されるようになったって…自分で言ってたじゃないですか ‼ サムホールの規格が作られたのは戦前なんでしょ? もう、理論が破綻してるじゃないですか ‼ 』って思った読者様もいらっしゃるかもしれません。
でも大丈夫。3ダースの理論は破綻なんかしてませんよ。
では、最後にもう1つ…キャンバスサイズウンチクです。
たぶん、コレを知ってるヒトは、画材業界内でももう皆無じゃないかな?
現役から退いた長老とかになら…ひょっとしたらご存知な先輩はいるかも知れませんが…。
それくらい超々々々々々レアな情報です。
明治時代、『20号S』という、とてもとても不思議なサイズのキャンバスがあったんです。
これ、Sっていっても全然『正方形』じゃないんですよ。
カタチは…M型よりももっと細い、短辺1に対して長辺は 1.88。
寸法は 23寸5分 × 12寸5分
(712 × 379) でした。
つまり、20号Sのくせに、長辺がFPMの20号 (727㎜) よりナゼか少しだけ短い…。
もう意味わからん ‼
不思議すぎる ‼
このナゾな寸法の “20号S” が存在したため、木枠メーカーには明治時代からSの焼き印 (ハンコ) が有ったんですわ。
だから昔から、なんの抵抗もなく (スペル的には正しくないけど)『SM』という記号でサムホール判のことを表すことが出来たんですよ。
Sの焼き印が存在してなかったら、『サムホール』というカタカナ5文字の焼き印を作っていたかもしれませんね。
ちなみに、ナゾな寸法の “20号S” という規格は…明治~昭和初期まで存在したもよう。
これ、明治時代に流行った立位肖像画専用に作られたキャンバスらしいですね。縦に使って立ち姿の人物を描くんです。
つまり、『肖像画』の頭文字の『S』だったんでしょうね。
その後、『写真』というモノが一般的になって…このキャンバスサイズは完全に廃れてしまったのだと思われます。
3冊ほどの文献で、その存在と寸法が確認できました。
つまりスクエアーの『S型木枠』が市販されるよりずっと前、たぶん70年か…それ以上前あたりには肖像画用の『S』が存在してたんですわ。
驚きですねぇ。
そして『S』の焼き印が木枠メーカーにあったからこそ、昭和50年以降に市販されるようになった正方形の木枠の “記号” も『S』になったんじゃないでしょうか?
だって、F・P・M同様に…正統派アカデミズムのフランス語で正方形を表せば『carré (カレ) 』ですから、焼き印を用意するなら『C』にしなければならなかったはず。
『せっかくSの焼き印が有るんだし、もうショーゾーガ用の細長20号に押すことは無いんだから、フランスのみなさんには悪いけど “カレ” じゃなくって英語のスクエアー君に浮気しちゃお』ってことで『S』を採用したんじゃないかしら?
今、正方形キャンバスを好んで使ってる人たちに教えたい…。
その木枠の焼き印は、もともと『肖像画用』の頭文字のSだったんですよ…って。
“スクエアー” なんてアンタたちはかっこよく言ってますけど、そんなのは後付けで…そもそも『ショーゾーガ用』のSだったんですよ…って。
『20号S』、画材業界の現役世代でこういう事を知ってるのは…3ダース1人だけでは?
ま、こんなの知ってても何の役にも立ちませんけど…。
おしまい。
【第60回終わり】
今までお読みいただきありがとうございました。













コメントを残す