第45回_枠張りキャンバスと油絵用パレットのハナシ

前回のメルマガでも少し触れましたが、枠張りキャンバスと油絵用のパレット…どちらも同じ規格 (寸法) で作られています。

なんで同じ規格にしてあるんでしょうか?
このふたつ、何か関係があるんでしょうか?

ええ、あるんですよ。

実は枠張りキャンバスもパレットも、同じルーツを持つ…兄弟みたいなものだったんです。

前に…枠張りキャンバスが一般的に使われるようになる前、『油絵の基底材は木の板だった』というハナシをしました。

ですので枠張りキャンバスが完全に普及してからは、さすがに木の板で油絵 (タブロー画…すなわち完成を目的として描かれる絵) 制作をする人はめっきり減りました。

でも、木の板を使ってスケッチ (写生) やエスキース (下絵) 程度の物をちょちょいと描いちゃう…っていう人は、その後もけっこうたくさん存在したのです。

今の時代でもキャンバスに “本番の油絵” を描く前に、構想を練るためにスケッチブックなどに『下絵』を何枚か描く人…普通にいますでしょ?

美術部員の生徒さんにも、そういうふうにやらせてますか?

あ…鉛筆やら木炭だけのデッサンじゃなく、ちゃんと絵具を使って着彩するんですよ。
でないと、完成のイメージが作れないでしょ?
モチーフの配置や背景の面積、色の対比など…。
風景画だとしたら空をどれだけの広さで入れるのか、人物画ならモデルの胸までを画面に入れるか…あるいは腰までか、足までか…。
何パターンか下絵を描いてみるのが普通でしょ?

いや、まあ1枚だけでもいいですよ。何かしら、“下絵的な物” がある方が、本番のキャンバスに向かうにあたって心強いでしょ?

ほとんどの人はスケッチブックに鉛筆でラフにスケッチし、水彩絵具で大まかに着彩して下絵を作っているようですね。

でも…それ、変じゃない?
うん、変ですよね。

だってこれから油絵を描くってのに、その準備のために水彩絵具一式も用意しなくちゃならないの? それ、絶対おかしいよね?
もしそれが屋外での制作だとしたら、水やバケツまで持って行くんですよ?
すごく面倒でしょう。

つまりソレ、なにか間違ってるんですよ。

そう、油絵の構想を練る『下絵』を描くのに… “水彩絵具を使う” っていう部分が間違ってますね。

みなさん、もうわかりましたか?
本来…油絵を描く前の下絵は、水彩絵具ではなく…油絵具で描くのが理想なんですよ。
簡単なことでしょ?
準備する道具は油絵セットだけでいいんです。ですから… “デキる人” は下絵を描くために何枚かのキャンバスボード (紙製の物で充分) を準備していますね、スケッチブックなんかではなく…。

こうありたいものです。

今まで水彩で下絵を描いていた生徒さん達も、油絵具で手早くキャンバスボードなどにスケッチし…本番のキャンバスのための下絵をどんどん作ってみましょうよ。
水彩の道具を準備してチマチマとスケッチブックに描くより、ずっと効果的です。

でもね、昔はもっともっと便利な画材があったんです。みなさんの知らないような物が…。

『スケッチ板』という商品

実は3ダースも、もう三十数年 “それ” を見たことありませんが、かつて…『スケッチ板』という商品がありました。

あ、誤解のないように。
小学生が写生会で使う…画用紙を乗せる『画板』の事じゃないですよ。
このスケッチ板は “油絵を描くための木の板” です。
あと、水張りに使う『木製パネル』とも全っ然違いますからね。
ベニヤじゃなくて、無垢の薄い板です。

またこれは…ダ・ヴィンチなどの時代に基底材にされていた “板” とも全然違うタイプの物なんです。
(当時の基底材は…板の反りの影響が出るのを恐れて幅の細い板を何枚もつなぎ合わせ、表面を石膏や白亜で塗り固めてから平滑に磨き上げた物…を使っていました)

つまりこのスケッチ板というものは、純粋にスケッチ (写生) やエスキース (下絵) をちょちょいと描くためだけの…簡易的な画材だったんです。
材質は桂か桜で、表面がよく磨かれた “一枚板” でした。
絵を描くためのものですからキャンバスとまったく同じサイズで作られていました。

1977(昭和52) 年に刊行された画材カタログによりますと…サムホール・F3・F4・F6・F8のサイズのスケッチ板が掲載されています。それより大きいサイズはありません。
あくまでも写生や下絵用でしたし、反りやすい一枚板でしたので…作れる大きさには制限がありました。

この板の材質 (桂や桜) は、まさに現在市販されている木製パレットと同じなんです。

つ・ま・り…スケッチ板とは、わかりやすく言うと『指穴』と『切り欠き』が無い木製パレットみたいな物…ってこと。

どうですか?
イメージ出来ましたか?

このスケッチ板、実は大変便利だったんですよ。

いきなり油絵具でスケッチ板に描くことも当然出来るんですが、“デキる人” は事前に乾性油などをスケッチ板にしっかり浸み込ませて準備しておくんです。
そうしてから油絵具で描くと、描き終わっても絵具が乾く前であれば…テレピンかブラシクリーナーを含ませたボロキレで拭いちゃえばスケッチ板はすっかりキレイになっちゃうんですよ。
チョークで書かれた黒板を黒板消しで消しちゃう、みたいな感じに…。

なのでこれ、何度でも使えたんです。スグレモノでしたよ。

ちなみに現在の木製パレットは表面を塗料でコーティングしてありますが、昔の時代の木製パレットにはそんなコーティングなどは無く…やはり最初に自分で乾性油などを浸み込ませる作業が必須だったとか。
つまり事前に油をしっかり浸み込ませておけば、絵具の色素が木の繊維に深く入り込めませんから…パレットであれスケッチ板であれ、使った後にテレピンなどで絵具を拭き取れば…けっこうキレイになっちゃうんです。

でもこのスケッチ板、パレット同様の “良い木材” を使っていたため…決して安いものではありませんでした。
安価な紙製キャンバスボードの普及により、昭和の終わり頃か平成のアタマのあたりで完全に姿を消してしまいました。

油絵の技法が確立したばかりの頃

ちょっとハナシは変わりますが…油絵の技法が確立したばかりの頃の画家は、絵を描く直前に自分達で顔料と乾性油を練って…油絵具を自作していました。
もちろん画家本人が練ることはおそらく無く、弟子が一生懸命練っていたのでしょう。

顔料と油を練るには…頑丈な大理石の『練り板』と、同じく大理石の『練り棒』を使います。
これらの道具一式はとても重いので、容易に工房の外に持ち出すことは出来ません。

また…練り上がった絵具は現代の油絵具に比べるとはるかにユルい液状。つまり、保存や持ち運びはなかなか困難です。

ですので、この時代の画家は…取材のためにスケッチに出かけることはあっても、屋外で油絵を制作することはしません。っていうか、出来ません。
道具や絵具が…持ち運ぶことを想定した作りになっていなかったからです。 
油絵は、ひたすら工房の中でのみ…描いていたのです。

風景画を描く時ですら、木の枝とか石コロを拾ってきては工房に持ち込み…細かい描写はそのモチーフを見て描くものの、風景全体のほとんどの部分はスケッチを参考にしたり、記憶や想像をもとにして描いていたのです。

どうです?
ちょっと意外に思う読者さんもいらっしゃるんじゃないですか?

この頃の時代の…手に持って使う『パレット』は、どんなものだったんでしょうか?
どうやって画面のそばまで絵具を運んだのでしょうか?

大理石の練り板ごと…なんて、重たくて手には持てませんよね。

おそらく…自分達で使いやすいように木の板を加工して、パレットを “自作” していたのでしょうね。
この時代に “既製品のパレット” なんてありませんからね。

筆だって、ほとんどが自作だったんじゃないでしょうか?
(もちろん画家本人は筆を作ったりしないでしょうが、筆作りの得意な弟子に作らせたり、地域地域に “筆作りの名人” ってのもいたことでしょう)

つまり…この頃の画家たちはそれぞれ独自に道具を作り出していたので、好みで丸いパレットを持つ者もいれば…四角いパレットを持つ者もいたのです。
多くの人がイメージするように…昔の画家がみ〜んな丸いパレットを持っていたってワケじゃないんですよ 😄

画家達はおのおの、世界にひとつだけの独自のパレットを持っていたのです。

でもそのパレットに、現代の絵描きのように20色近い絵具を一度に並べていた…とは思えません。なにしろ昔は液状でユルユルな絵具だったようですから、まっ平らなパレットじゃ…ちょっと傾けただけで絵具が垂れて来ちゃいますしね。
必要最小限の絵具だけを乗せて使っていたんじゃないでしょうか?
ですので、木の板の平面なパレットだけではなく…陶器の皿なども併用していたと思います。

道具一式を持ち出して屋外で油絵を描くようになったのは、印象派の時代の人達です。

油絵の技法がほぼ確立したのが15世紀前半…印象派の出現が19世紀後半と言われていますから、画家が屋外で油絵を描くようになるまで400年以上かかったってことですね。

なぜ屋外での油絵制作が、印象派の頃に可能になったのでしょうか

それはその頃、『市販の油絵具』が出現したからです。

つまり、画家やその工房内の弟子達ではない… “外部の人” が、保存と持ち運びが可能な『容器に入った油絵具』を売り始めたのです。

いやあ、すごい人達が現れましたねえ。
彼らが絵具メーカーの “先駆け” なわけですよ。

おそらくこの人達は、画家の工房に弟子入りしたものの…絵の腕前はそれほど上達しなかった、言わば『売れない画家』だったのでしょうね。
独立して自分の絵画制作工房を構えることも出来ず、つまり…絵で食っていくことができなかったため、それまで毎日のようにやり続けていた “絵具の手練り” を職業にしようと決めた人たちですな。

油絵具は空気に触れたままだと固化しますから、とにかく空気を遮断して保存することが出来ないと…『商品』としては成り立ちません。

初期の “容器” は豚の膀胱だったと言われています。
ま、今の感覚でいうと小振りのゴム風船みたいなイメージでしょう
小さいゴム風船に入った丸い羊羹とかゼリー、見たことありませんか?
アイスもありますね。
たしか『おっ◯いアイス』って名前のやつが今でも売られていますね。
あんな感じですよ。

でもこの豚の膀胱、開封すると再び密閉するのは困難。
こんな程度の保存方法は、画家の工房内で絵具が練られていた時代から…実は行われていました。
商売にするならもっと完璧な方法を考えねば…。

やがて金属製の本格的な容器が出現したため、絵具メーカーというものが確立したわけです。

真鍮製の注射器のような “シリンジタイプ” とか、軟らかい錫 (すず) で作った…現在と同様の “チューブタイプ” 。

硬い真鍮製の容器は…なんと再利用が可能なスグレモノでしたが、詰め替えのための洗浄が思いのほか困難だったため…ほとんど普及せず 😰
錫の “使い捨て” チューブが業界を席巻しました。

チューブのキャップも…初期は押し込むだけの “コルクの栓” でし
たが、間もなく現在と同様の…密閉度の高いネジ式のキャップに移行。

チューブの材質も…錫単体からやがて錫+鉛に切り替わり、ホントに数十年前までこの錫+鉛のチューブが使われていたんですよ。
(現在はアルミ製チューブです。ただ、油絵具の成分がアルミを腐蝕してしまうため、アルミの内側の面は合成樹脂でコーティングしてあります)

絵具メーカーの出現により、『持ち歩けて保存が利 (き) く』油絵具が市販されるようになりました。

同様に筆や枠張りキャンバスも、“工房外” で作られたものが流通し始めます。
つまり、『画材店』の誕生です。

枠張りキャンバスが当たり前に使われるようになっていたその当時でも、写生や下絵を描くための “板” には継続的な需要がありました。
(印象派の時代は、紙がまだ高価でしたし…)
中にはその板に直接タブロー画を描いちゃう者もわずかにいたでしょうが、下絵を描くためだけに板を使っていた者が圧倒的だったでしょう。

そういう画家達の要望に、画材店は板を切り出して作った『商品』で応じました。これが既製品の『スケッチ板』というわけです。

枠張りキャンバスと同じ規格で板を切ればいいだけですから、画材店としては決して製造が面倒な商品ではありません。
安く、大量に作られたことでしょう。

印象派の頃の画家達は、チューブ入りの絵具を持ち…白いキャンバスを抱え…下絵用の板も何枚か持ち…折り畳み式のイーゼルを背負って、屋外に出て油絵制作をし始めました。
これは、絵画史上とてもとても画期的なことでした。

そこで必需品になったのが、軽い携帯式のパレット。すなわち、木製パレットです。
屋外の制作に重たい陶器の皿を何枚も持っていくわけにはいきません。それに、もうユルユルの液状の絵具ではない…チューブ入りのしっかりした絵具です。ちょっとやそっとパレットを傾けたって、絵具はこぼれて来ないでしょう。平らな板で充分なのです。

当然…印象派の頃の画家達も、かつての巨匠達のように自作のパレットを作っていたはずです。アトリエ内で使う室内用パレットは、大きめな…こだわりのパレットだったのでしょう。
しかし、屋外に持ち出す自分達の道具の中にもパレットそっくりな板 (スケッチ板) があるじゃあないですか !!

このスケッチ板のうちの一枚を…パレットとして即興的に使う画家が現れたのでしょう。
これが現在の『角型パレット』の始まりではないか…と、3ダースは考えております。
(個人の勝手な推測ですけど…)

本来は画家がおのおの自作していたパレット…。
ゆえに…世の中に同じパレットなぞ存在しなかったわけですが、スケッチ板をパレットに転用する画家がいることを知った画材店がスケッチ板に “指穴” を空け… “切り欠き” を作り、『既製品の角型パレット』を作って売り始めた…。
そのため世の中のすべての絵描きが “パレットを自作するという作業” から解放され、みんな同じカタチのパレットを持つようになった…
このように考えております。
(あくまでも、勝手な妄想です)

スケッチ板を加工して作ったパレットですから、その大きさはキャンバスの規格をそのまま採用しているんですね。

まとめ

では、改めて歴史を振り返ってみましょう。

ダ・ヴィンチやそれ以前の画家の頃の基底材である… “幅の細い板をはぎ合わせて石膏などを塗った物” から油絵が始まり、やがてベネチアで木の枠に亜麻の布を張った…軽い基底材 (枠張りキャンバス) が流行し、高価で使い回しの利かない紙よりも…入手しやすく何度でも使えるスケッチ板は写生や下絵用に長く使われ続け、様々な既製品が作られるようになった印象派の時代に…キャンバスサイズのスケッチ板から転用されるカタチ…で『既製品の角型パレット』が生まれた。

ほらね?

枠張りキャンバスと油絵用のパレットは…兄弟って言う程は近くなかったようですけど、どちらも昔の基底材から派生した、共通のルーツを持つ仲間みたいな物だったって…わかってもらえましたか?

こういう経緯で、パレットの大きさはキャンバスの寸法に準じているのです。

【第45回終わり】

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