「サクラクレパスが3ダースサンにとってのイチオシ画材だってことはわかりましたが、その前の段階にあたるクレヨンのご説明が少なく、よってクレパスのスゴさがイマイチわかりませんでした」とか「小学校教師をやめたばっかりの人が作れちゃうくらい、クレヨン製造って簡単なんですか?」というご質問がありましたので、今回はクレヨンのハナシ。
さらっと説明したんじゃ、また「ご説明が少ないです」と突っ込まれちゃいますから、ちょっと学術的な切り口で語ってみます。
クレヨンの語源
「クレヨン (crayon) 」。これはフランス語です。
意味は、意外にも「鉛筆」と「筆記具全般」と「棒状の描画材料全般」。
なので、フランスのお店で「クレヨンをください」と言っても、渡される物はだいたい鉛筆。 我々が知ってるクレヨンは出てきません。 「クレヨン = 鉛筆」というのが、一般的なフランス人の反応だそうです。
なぜ「クレヨン = 鉛筆や筆記具全般」なのか…と言うと、昔っから筆記具全般をクレヨンと呼んでいて、他に適当なコトバが作られなかったから… 😅 そう。簡単なハナシなんです。
クレイ + on (onは小さい物という意味の接尾語) でクレヨン。 このクレイ (craie、古語ではcraye) は…「白亜」のこと。 つまり、語源は「白亜の小片」なのです。 粘土のclayではありませんよ。clayは英語ですし… 😅
“白亜” とは、完全に岩石化していない…軟らかめな石灰岩のこと。ドーバー海峡の海岸の崖などに見られます。
白亜を英語圏ではチョーク (chalk) と呼びます。黒板に使う “白墨” も白亜を原料にして作っていたため、チョークと呼ぶんです。
古代の筆記具・描画材料
フランスでは昔から…天然から得られる白亜や黄土やサンギュイン (濃い赤茶色の鉱物) や黒鉛や木炭などを、筆記具や描画材料に使っていました。
※ 黒鉛 (グラファイト) = 炭素からなる鉱物。鉛筆の芯の原料。 ちなみに黒鉛の中に金属の “鉛” は含まれていません。
それら岩石や鉱物を採掘し…それを小さい弾丸型に削った商品 (= クレヨン) が流通していて、それを使う際には専用のクレヨンホルダー (みなさんもご存知な木炭ホルダーのようなもの) に挟んで使いました。
ですので、白亜 (クレイ) 以外の…黄土やサンギュインの筆記具や描画材料でも、クレヨンホルダーにはめて使える物であれば…全部ひっくるめて “クレヨン” と呼んだのでしょう。 クレイ (白亜) じゃなくても、黄色い物でも赤茶色の物でも “クレヨン” なのです。
黒鉛を小さい弾丸型に削った物 (= クレヨン) をホルダーにはめて使っていた物が…後に細い木の板で黒鉛の芯を挟んだ物に変化し、それがやがて現在の六角軸の「鉛筆」に進化して行くのですが…フランスでは黒鉛の弾丸型の小片も昔から “クレヨン” と呼んでいたため、現在の六角軸のカタチに落ち着いた鉛筆も…いまだにクレヨンと呼んでいるんですね。 他に適当な名前が無かったのなら、しょうがないことです。
英語圏での呼び方
英語圏でも、白亜 (チョーク) 以外の…黄土やサンギュインの筆記具や描画材料も、フランスと同様に…みんなひっくるめてチョークと呼びます。 チョーク (白亜) じゃなくても、黄色い物でも赤茶色の物でもチョークなのです。
ですが、英語圏だと “鉛筆” には「pencil」という特別な名前がつけられましたので…現在の鉛筆をチョークと呼ぶ人はいないと思います。
おそらく、フランスには “pencil” に相当するフランス語が存在しないんでしょうね。 なので、フランスでは今でも…鉛筆をクレヨンと呼ぶのでしょう。
(ちなみに、英語のpencilは “pen” からの派生語ではなく、全然別な語源から生まれた「pincel = 細い筆」に由来するそうな。つまり英語圏における鉛筆はペンの代用品としてではなく、細い筆を代用する役割…と認識されているようです)
後にフランスおよびアメリカで発明された…日本語で言う “いわゆるクレヨン” は、フランスでは「クレヨンパステル」と呼ばれているそうです。
このように…フランスにおけるクレヨンというコトバは、我々の言う “いわゆるクレヨン” より…はるかに歴史が古く、使われる範囲もはるかに広かったんです。
パステルとは?
さて、 “いわゆるクレヨン” のフランスでの呼び名「クレヨンパステル」の中に “パステル” っていう言葉が入ってますね。 ちょっと脇道にそれる感じになりますが、「パステル」のハナシをサラッと…。
パステルは、様々な絵具の基になる “顔料の粉末” を、”水性の糊剤” で練り合わせ…棒状に固めたもの。 pâte (パート。パテ。小麦粉などを練り固めた物。生地。古語ではpaste = ペースト) が語源。
パステルは17世紀中期頃には既に存在したようですが、当然その他の筆記具や描画材料と同様…出現当初はクレヨンと呼ばれていました。
それより前から存在していた “伝統的なクレヨン” は…白亜や黄土やサンギュインなど天然に存在する「塊」から削り出して作った物ばかりでしたから、粉末の顔料を糊で練って固形にするっていうのは新しい発想です。
ただ、古来から使われていた筆記具・描画材料と比べ…パステルはとても軟らかく作られていたので筆記 (線描き) よりも着彩 (面塗り) に特化して行き、クレヨンと呼ばれた一群の筆記具とは別な商品と見なされるようになり、「パステル」の名で呼ばれるようになりました。
形状で見るとクレヨンとパステルはほぼ同様ですが、使い途がドローイング (線描き) とペインティング (面塗り) で異なるので、呼び名が分けられたんでしょうね。 (使い方も違ったようです。クレヨン群はホルダーに挟んで先端で描きますが、パステルは手で持って棒状の本体の側面を紙に擦り付けます。ホルダーなんかに挟んじゃうとパステルの側面が使えなくなりますからね)
パステルは、紙に擦り付けることで固まっているパステルが崩れ…顔料の粉末が紙にくっつくメカニズムですが、顔料は紙に乗っかっているだけなので…やがて剥がれ落ちる運命。
なので、フキサチーフなどの「定着液」が必須になります。それに、パステルはパレットなどを使って混色することは不可能。つまり、色数を多く用意しなければ使いこなすことは出来ません。 このようにパステルは、手軽な画材とは言えない…まさに専門家用の画材と言えますね。
古代のクレヨン
さて、”いわゆるクレヨン” の方にハナシを戻りますが、顔料をロウで固めた画材の出現は、ローマ時代まで遡れるそうです。
それはエンカウスティークという技法で、顔料を混ぜて固めたロウを絵具として使うものでした。 絵を描く際には加熱した金属製のパレットの上でロウの絵具を融かし、筆で描いたそうです。
この技法は、18世紀に研究が始まるまで長期に渡って忘れ去られていた技法ですが、ローマ時代にはロウと顔料を混ぜた画材が既に存在していたというのは興味深いですね。
ルネサンス期にはダ・ヴィンチが「そのままで使う棒状の固形彩色具の作り方」と題した手記を遺しているそうです。
エンカウスティーク技法は、熱いパレットの上で絵具を融かして筆で塗っていましたが、ルネサンス期には同様のモノを棒状に作り、そのままデッサンなどに用いていたのでしょう。
おそらくこれらは…現在の “いわゆるクレヨン” の原始的な姿だと思われます。 個人が工房の中で自作出来る、比較的簡単なモノだったのでしょう。
実際、クレヨンの自作はそんなに難しくないんです。 材料さえ揃えば、誰にでも作れます。
ですので…クレヨンがいつ発明されたのか、どこのメーカーが最初に販売したのか…は、イマイチ不明なのです。
現代クレヨンの誕生
おそらく、現在我々が “いわゆるクレヨン” と呼ぶ、画材としてのクレヨンという商品を最初に作り出したのはフランスのメーカーだろうと言われています。 19世紀末…ですから、おそらく1890年前後かと思われます。
その製法がアメリカに伝わり、ビニー&スミス社が1902年に開発し…1903年に「クレヨラ」という商品名で販売しました。 (クレオラとかクレイヨーラなどとも訳されていました)
これ、とても有名な商品ですからみなさんも一度くらいはパッケージを見たことあるんじゃないでしょうか?
ビニー&スミス社はアメリカで大規模に開発されていた油田から産出される副産物「パラフィン蝋」に目を付け、クレヨラを大量生産しました。
これは当然日本にも入って来て、1910年代後半には学校教育の場でも使われるようになりました。
国産クレヨンの歴史
一方、国産クレヨンの第一号は立野繪州堂という会社とされています。 1921 (大正10) 年。サクラクレパスより、わずかに早かったようです (たぶん) 。
これは画材業界での通説なのですが、最近文具業界の研究者が「国産クレヨンは明治期に既に存在していた」…との新説を出して来ました。
「杉本堊筆」 (堊筆とは黒板用チョーク = 白墨のこと) というメーカーが明治後期に製造していたとのこと。 ただ、商品名は「色チョーク」とか「蝋チョーク」、「色蝋筆」などと呼ばれ、クレヨンという商品名ではなかったそうな。 また、我々が目にする “いわゆるクレヨン” よりも、だいぶ小さくて細いものだったそうな。
そしてもっと遡り、1876 (明治9) 年11月…大蔵省紙幣寮 (今の国立印刷局) で「石版描写用クレーヨンの製造法を研究し、ついに成功したり」とあり、 “クレーヨン” なるものが大蔵省内で製造されていたこともわかりました。
となると、画材業界の通説…立野繪州堂やサクラクレパスの1921年よりはるか昔に、クレーヨンなるものが国産されていたと…。 ビニー&スミスのクレヨラの輸入よりはるか前から、クレーヨンなるものが国産されていたと…。
幕末のクレーヨン
で、文具の研究者さんはさらに調査を進め…「幕末 (1860 = 万延元年) にオランダより石版印刷がもたらされた。同時に石版の製版に必須の描画材 “クレーヨン” も日本に入ってきた」と。
研究者さんによると…「このクレーヨンはフランス語ではなくオランダ語で…絵画を描くための画材ではなく、あくまでも製版のための描画材」だろうとのこと。 おそらく色数は黒と赤だけだったのでしょう。 それらは意外にも町なかに出回り、駄菓子屋で子供のラクガキ用としても売られていたんだとか…。
明治後期 (1910 = 明治43年頃) の杉本堊筆の色チョーク は、はたして画材業界として “いわゆるクレヨン” の先駆と見て良いのかどうか…? 画材の歴史が書き換えられてしまうのかもしれませんね。
コンテの発明
もう一つ、クレヨンがらみでチェックしておかなければならないのが、「コンテ」。
ちなみに、コンテは人名です。
コンテさんの発明品が “コンテ” で、それを作って売る会社が “コンテ社 (コンテ・ア・パリ) ” です。
前にも言いましたが、クレヨンは筆記具と描画材料の全般を表すコトバで、天然の鉱物や岩石を採掘し…弾丸型に削り出したものをクレヨンホルダーに挟んで使っていました。
この天然ってのがクセモノで、けっこう不純物や夾雑物があって…書いてる最中にかすれたり引っ掛かったり、使う人をイラつかせてくれるものでした。
これを改良したのが化学技術者のニコラ・ジャック・コンテ氏。
彼は白亜や黒鉛の鉱物を一旦砕いて微細な粉末にし、不純物を取り除いて精製し、水性の糊材を用いて棒状に押し固めることを1794年頃に考案。
まあ、前半は鉱物から顔料を作る製法…後半はパステルを作る製法のドッキングなので、この化学技術者さんが現れなくても誰か別な人がこの製法に到達は出来たでしょう。
しかしその当時には、彼以外…この製法を気付く人がいなかったんです。
鉱物の塊から削り出して作った “天然クレヨン” に対して “人工クレヨン” とでも呼ぶべきでしょうか。
この人が作り出した棒状筆記具は「コンテクレヨン」と名付けられ、大ヒット。 (日本では単に「コンテ」と呼ばれています)
後発メーカーの “人工クレヨン” もすべて「コンテ」と呼ばれてしまう程、圧倒的な存在感の商品でした。
現行型クレヨンの確立
“いわゆるクレヨン” が1890年頃にフランスで発明され、製法がアメリカに伝わり…ビニー&スミス社がクレヨラを作った…と先程言いましたが、このフランスのメーカーが、はっきりしないのですがコンテ社なのではないか…と、3ダースは思っています。 10年くらい前に集めた手元の資料が、人に貸したっきり返ってこない事態になって…結局メルマガ送信までわからないままなのですが、コンテ社は現在ロウを使った “いわゆるクレヨン” をラインナップさせてないので、ひょっとしたら他のメーカーだったのかもしれません。
いずれにしても、”いわゆるクレヨン” と呼ばれる、現行型のクレヨンの出現を、我々画材業界人は1890年頃~1903年と見ております。
すなわち「石油由来のパラフィン蝋を使い、大量生産され、専門家対象の小難しい画材ではなく…学童用の教材として安価で広く普及したもの」と考えております。
明治期に存在した杉本堊筆による色チョークは、3ダースは実物を見ておりませんが…だいぶ小さく、細いものだったそうです。おそらくクレヨンホルダーのような物で挟んで使う筆記具だったんだろうと思い、我々画材業界人が扱う「画材」とは若干の距離を感じるわけです。
コンテ氏のもう一つの功績
さて、ニコラ・ジャック・コンテさんのもう一つの功績を最後にご紹介。
コンテ (コンテクレヨン) は大ヒットしましたが、コンテ氏は「鉛筆芯の発明者」でもあるんです。
彼はやはり黒鉛の塊を砕いて精製し、粘土の粉末と混ぜて焼き固め、現在と同様の「鉛筆の芯」を作り出しました。
その際、粘土の割合を調節すれば硬さを変えることが出来る、硬い芯ならより細く作ることが出来る…ということも1795年に発見。
“コンテ” という描画材自体…とても滑らかな書き味なんですが、さらに滑らかに書ける “鉛筆芯” も…コンテ氏の発明だったんですね。
今、コンテと六角軸の鉛筆を見比べると…全然違ったモノにしか見えませんが、実際に歴史を振り返ると…両者はほんのちょっとの違い (粘土成分と焼成工程の有無) しか無い、同根の物でした。
フランスでは、鉛筆も、その他のすべての筆記具・描画材料も、いっしょくたに「クレヨン」というカテゴリーに入れられているっていうのも、なんとなく納得できることかと思います。
【第43回終わり】













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